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ウメバヤシシゲル? メイリンマオ?

『王妃の紋章』をご覧になった印象は?
映画ファンなら全部完成したものを見るけど、僕の場合は編集前の映像を見て伝えたいことは何だろうという部分を重要視するから、客観的に見るにはとても難しいポジションだな。
今までのチャン監督作品であそこまできらびやかな世界はありませんでしたね。
スケールが大きいエンターテインメント作品か、小品だとか言うのは映画の出口の問題であって、イーモウの場合はどういう作品であれ人間のドラマを描く監督であるというのは変わりがない。音楽も同じように小品であればソロの楽器一本で表現することもできるだろうし、やはり『LOVERS』や『王妃の紋章』規模のエンターテインメント映画になると伝えることは一緒だけどもそこにオーケストレーションを使ってみたりだとか、スケールというものが変わるわけであってもともと彼の持っている人間ドラマというのはどんな形であれ変わっていないので、最初の段階では意識することはまずないね。チャン監督とはどんなやり取りがあるのでしょう。監督は注文の多い方ですか。
初めて会ったのは『HERO』の北京プレミアの時かな。 彼はすごくシンプルな人。彼が音楽に対して造詣が深いか浅いかどうかは知らないけれど、音楽ってたくさん知っている、聞いているかではないと思う。僕はプロフェッショナルとして信頼してもらっているのかたくさんの言葉はなくて、打ち合わせでも多くのことは喋らない。作曲する上でどのキャラクターに共感しましたか?
王妃のゴン・リーが軸になっている部分が大きい。チョー・ユンファの国王への共感もあるけど、やはりそれを受け止める女性の側の気持ち。。。出せたかは分からないけど、やはり女性の目線から男性を見るという部分でないといけない、ゴン・リーとイーモウの組み合わせだし(笑)。そういう個人的なことはおいといたとしても、やはり女性の王妃からの視点で自然と考えたね。
基本的に男と女はどんな世界でも同じかな。一般人なら背負わなくていい背景をしょっているわけだけど、そうは言っても最終的に物事を決めるだとか、心が躍るとか、泣くといったシンプルな人間的な気持ちは厚い鎧をまとっていても優先するんじゃないかな。でないと鎧に潰された、ただのロボットみたいな人間になってしまうからね。
お名前だけ見る限りでは中国の人と間違われたりしませんか。中国語圏でのコミュニケーションはどうですか?
海外の人では僕を中国人と思っている人もいるかもしれない。メイリンマオと中国名で呼ばれるし。
今まで何度も中国語圏の人たちと仕事をしているけれど、最初の出会いも基本的に自分は音楽家という目的が見えているわけで、仕事を通じて僕のことも知っているわけだからどこの国の人ということは関係ないわけだけど、そのもっと奥があるとすればやはり同じアジア人っていう部分は話しをするにしてもフレンドリーになり得ることは欧米人より多い。
付き合ってみて分かるのはやはり中国人は大陸的というか、フットワークがすごくいい。いいものはどの国のものであっても自分たちのものにしようと努力するから中国作品でも編集や仕上げは豪州や欧州でやってみたりする。日本人はそう言う意味では日本から出ようとしないし、いいものと思っても素直にそれを受け止める度量がない、結果がいい悪いは別として。それはたぶんに日本の物作りの原点にあるところじゃないかな。
こういう仕事をしていると大げさなプロダクションを組んでスタッフが沢山いるイメージがあるようだけど、イーモウ、ビル・コン(プロデューサー)、我々の3-4人で話しは終わるし、仕事が始まればイーモウと二人で音を聞きながらどうしようか、という話しだけ。もちろんスタジオに入ったときは我々のスタッフがいるけれど、物事を決めるときには大げさな、日本人の大好きな打ち合わせはない。打ち合わせの時もいつも3-4人だからその場で決まるし、非常に明快。 我々としても幸運なことに監督、プロデューサーと直接話せる仕事のシステムでやってきているけど、少数精鋭が一番だと思う。
ドイツの監督と録音をしている際に立ち会わせていただいて、梅林さんのオープンで謙虚な姿勢には感動しました。いい意味でエゴを出していない。だからどの監督にも染まれる、どこの国の作品と問わずやれるのでしょうか。
だって音楽にエゴが出ているもの(笑)。エゴのある人間である必要はないし、分かりやすく例えるなら野球で4番を打ちたいと思っても使ってくれるチームがなければ打てない。映画音楽っていうのも監督ありき、映画ありき、もちろん内容によって戦いはするけど、監督・映画ありきの中で自分をどう活かせるか。その中でどう個性を出せるか。実はあんまり難しく考えていない。映画は芸術だとか、音楽も難しく捉えられたりするけど、あんまりそういうことは考えていないんだ。監督に決定権がある状況で、フラストレーションはないですか。
誤解して欲しくないけど、イエスばっかりではなく大事なことは必ず自分の意見は言うの。でも最終決定は監督のものだから。監督がAで行きたいときに自分はBだとすると、Bだと思う意見は必ず言う。でも監督が最終的にAだと言うならAの方に軌道修正する。何度も参加されているウォン・カーウァイ監督作品では、音楽は主演の一人と呼べるほど重要な位置づけですが、あれほど音楽に詳しい監督だとどうなのでしょうか。
ウォンとの場合、すごく嬉しいのはあれだけ音楽と映像を合体させた表現という彼独特のものがあること。ただ逆を取れば彼は自分の知っている音楽知識の中から一番自分の感性にあったものを選んで求めてくるわけで、音楽家としてもビートルズであれクラシックであれ聞いてきたものが身体を通して出てくるのがその人のオリジナリティだと思う。彼と僕の場合は求めるものが合っていると感じる。
彼の音楽的センスは認めているけど、音楽に寄り添い過ぎてもいけないという感はある。だけどこれもやはり最終決定権は監督にある。ちょっと音楽で行き過ぎることもあるけどねぇ(笑)。
彼は時代的にイギリスの音楽も、ラテンもタンゴも、もちろんビートルズも好きだろうけど、僕らは視点の食らいつき方に近いところがあるんじゃないかな。ビートルズを好きな人は多いけれど、好きな曲を選ぶとなるとその人の感性が見えてくる。
最近の若い監督はウェス・アンダーソンにしても一般の人が知らない埋もれた名曲を使うセンスに長けていると思う。ビートルズやローリング・ストーンズではなくキンクスを使うとか。『エターナル・サンシャイン』(ミシェル・ゴンドリー監督)然り。
ウォンとは「これかっこいいよね」っていうところでお互い暗黙の了解のセンスがある。ウォンもイーモウの時と同じで打ち合わせは1-2回。もちろんファイナル・ミックスにおいて音のデザインは話し合うけど、音楽を作る上において会話は少ないな。
ウォン・カーウァイ作品は『花様年華』でも『マイ・ブルーベリー・ナイツ』でもなつかしい感覚がありますよね。
そうね、彼独特の時代感もあるだろうし、僕も常に思うことは普遍的な変わらない素晴らしさ。ファッションも映画も時代を反映するけど、例えば70年代のベルボトムを今そのまま履いてもダメだけど、コンセプトは活かせる。今の時代にそれをどう活かせるかをウォンはちゃんと映画として立証している監督じゃないかな。だから素材は古くてもセンチメンタルな回顧主義ではない。
団塊の世代のおじさんたちが「あの時代はよかったな。。。」ってバンドやるじゃない、ああ言うのは大嫌いなんだ。その時代にやったからよさがあったけど、それをおじさんたちが今やってもダメだと思う。だったらストーンズのように60代になってもやり続ける方がすごい。
これから手掛けてみたいテーマ、組んでみたい監督はいますか?
コメディをやってみたいね。ティム・バートン監督とも組んでみたい。あと正反対にデイヴィッド・リンチとか。彼の映画にも僕の音楽は合うと思うんだよね。。。。早く「アジア的」と言われるものと違うものもやってみたい。もちろんドイツやイギリスの映画もやっているけど、そうしないと自分の世界が狭くなるよね。僕の作品はアジア的という印象が強いので、依頼が来るのは違う理由もあるとは思うけど、ステーキを食べすぎた人間がたまに寿司を食べたいようなものかもしれない。
地味でシンプルなラブ・ストーリーもやりたいね。パトリス・ルコントの作品も大好き。
『ハンニバル・ライジング』(ゴン・リー主演)以降も”Incendiary”(シャロン・マグワイア監督)、”Absurdistan”(ファイト・ヘルマー監督)それにギリシャ、セルビアとアジア以外の作品も控えている梅林さん。
筆者にとっても外国人とはロックという共通項で距離が縮まることがよくありました。異なる環境で育った人とも瞬時に時代感を共有することができる素晴らしさ。梅林さんの音楽の引き出しの多さと柔軟なスタンスが多くの監督を引きつけるのでしょう。
梅林さんもチャン・イーモウ監督作品で大好きだとおっしゃっていた『紅いコーリャン』。私にとっては16才で見た初めての中国映画で、衝撃的でした。中国から見たひとつの率直な日本の印象に触れ、教科書にせよ映画にせよ色々な視点・思想があり、何でも鵜呑みにしてはいけないということを学びました。
今月の映画紹介では在日19年の中国人監督の『靖国』も掲載予定でした。東京で予定されていた上映は劇場が自主中止しましたが、5月の上映が決定したとのことです。
私は靖国神社へは海外メディアと何度か撮影で行ったことがあります。日本人はあらためて考える機会が少ないですが、外国メディアには興味津々の場所なのです。
『靖国』は渾身の秀作です。李櫻監督は「私は反日の姿勢でこの映画を作ったわけでは全然ない。これはむしろ私の日本へのラブレターのようなものです」と語っています。国を愛するというのは賛美するだけではなく、その姿を見つめてあり方を問い続けることではないでしょうか。
今年の香港国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受賞、ほか海外でも見る機会があるのに、日本に関する映画を日本人が見る機会を奪われるという有様では、日本がやばいところに行っている気がします。5月号には紹介を掲載したいと思います。