

『殺人犯』
この映画のインパクトのあるチラシやウェブサイトのビジュアル、かなり怖い。構図からしてモチーフは『シャイニング』(80年 スタンリー・キューブリック監督)…だろうか。雪に閉ざされた古いホテルに住む夫婦と幼い息子。そして古い写真が過去を語る。徐々にコントロールを失う父親、妻と息子は逃げ出す…。『殺人犯』とだぶるところがない訳でもない。

そのポスターの不適な笑みの主は、香港四天王の一人で、きらびやかな衣装でコンサートを繰り広げる’跳舞王 (ダンスキング)’として名を馳せる一方、『ディバージェンス 運命の交差点』(05年 ベニー・チャン監督)と『父子』(06年 パトリック・タム監督。映画祭上映のみ)で二年連続して台湾金馬賞主演男優賞ほか多数受賞しているアーロン・クォック。『殺人犯』はアーロンのアップが多いのですが、アーロンの愛嬌のある表情に渋さが加わり、彼の台詞を発しない時の眼の動きがサスペンスを盛り上げ、苦悩する表情を堪能できます。主役のレン役にはアーロンを想定して脚本が書かれたという。アーロンは順調にキャリアを重ねてきた警部、レンが連続猟奇殺人事件の容疑者に陥っていく様を演じるべく、何ヶ月も調査研究に費やしたとのこと。ロイ・チョウ監督と共に野生動物のドキュメンタリーを観賞してはその目つきを学び、現役の警察官や専門家にインタビューをして犯罪の根底にある精神状態を見つけたという。
ロイ・チョウ監督の長編デビュー作。その凝り性なセンスが随所に感じられる。撮影監督は、5月号の『トロッコ』でも紹介した名匠リー・ピンビン。話だけを追うと、下手をするとスプラッター映画になりかねないところを彼の映し出す不穏の映像美によってぐいぐい引き込まれる。美術を担当するマン・リムチュンは『花様年華』(00)や『イザベラ』(06)、『出エジプト記』(07)といったパン・ホーチョン監督作品などこだわりの作品を手掛けている。そして香港映画ではあまり馴染みのない場所や風景。東京23区ほどの広さしかない香港で、すべてのロケ地が新鮮に見えるようにするのは至難の技だったでしょう。筆者も撮影の仕事でロケハンをすることがありますが、恐れ入ったのは、スタッフはレンの足取りを香港の中で最も狭く歩き回れる範囲で数週間〜数ヶ月かけて調べて回り、綿密に計画したということ。外国映画の日本撮影だとイメージが先行するため、実際の地理的関係が無視されることが多々ある。『ロスト・イン・トランスレーション』の東京然り。そんなことは東京を知る人以外にはどうでもいいことかもしれないが、本作には香港の人たちに違和感のない作品を見せようという気概が感じられる。

本作の製作総指揮はビル・コン。国際的敏腕プロデューサーであると同時にジェイ・チョウに『言えない秘密』(07)を撮らせるなど新しい才能の発掘にも力を注ぎ、香港演芸学院演出家を首席で卒業したチョウ監督も、在学中から自身のエドコ・フィルムスで起用している。チョウ監督はコン氏プロデュース作の『英雄 HERO』(02)『SPIRIT スピリット』(06)『ラスト、コーション』(07)の製作や現場に参加し経験を積んだ逸材。
脚本を担当したトー・チーロンも、香港城市大学在学中に書き上げた『ベルベット・レイン』(03)に続き、『SPIRIT スピリット』、『言えない秘密』も手掛けた若き才能。そしてこちらも『SPIRIT スピリット』つながりでしょうか、スリルを掻き立てる音楽は梅林茂(『王妃の紋章』、『花様年華』、『2046』ほか)。
チョウ監督の本作に込めた意図は、サスペンスやホラー的な外観をまといながらもより自身の哲学に基づいているようだ。孟子の性善説と荀子の背善説を挙げ、「人は善と悪の境界線に立たされたとき、どのような選択をするのか」という「人間の複雑性」、そして「この映画を作ることにより、善人がいかに<悪魔>になっていくのかを描き出したいと思った」と語っています。
因果応報、同時に人生は理不尽なもの。逆恨みもあれば誤解もある。確かに幽霊話より、身近な人間が自分を陥れようとしていたらずっと怖いはず。賛否両論を呼び、中国大陸では差し替えられたというエンディング。もっとストレートな心理ドラマにする手もあったのではと思いつつ、これからさらに作品を重ねていけば、チョウ監督も人間の闇を描く、娯楽性と知性を兼ね備えた映像作家になっていくのではと期待が持てます。
そしてチョン・シウファイが準主役で登場しているのも香港映画/ジョニー・トー作品のファンには楽しめるところです。 『エグザイル/絆』(06)『天使の眼、野獣の街』(07)『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』(09)などで常に名脇役、いや、出ているのが当たり前の印象の彼ですが、本格的な役を演じたのはトー監督が『ヒーロー・オブ・クンフー裸足の洪家拳(洪拳小子)』をリメイクした『素足のクンフー・ファイター』(93)とのこと。こちらの主演はアーロンでした。マギー・チャン、ティ・ロン共演のカンフー映画ながらしっとりとした名作です。DVDが出ていますので、こちらも是非ご覧になって下さい。
筆者は常々憎たらしい!という気持ちを起こさせるのはいい役者なんだと思っていますが、「子供」のチャイチャイを演じるタム・チュンヤッは2003年生まれ。この天才子役の小憎たらしさもなかなかです。
エンディングでは復讐を予見させ、誰にも信じてもらえない主人公ながら最後に上司が謎解きのきっかけとなることに気付いたかのようなシーンがある(この上司が中国大陸出身らしい設定だが、これは現在の香港の警察ではよくあることなのかも気になりつつ…)これは「パート2ヘ続く」ということなのでしょうか。パート2であのキャラがどう発展するのか見たいような、見たくないような…。

『パリ20区、僕たちのクラス』
第61回カンヌ国際映画祭パルムドール(最高)賞受賞作品。二年経ってからの公開となりますが、優れた映画が一本でも公開に至るのは映画ファンには嬉しいことです。
ドキュメンタリー・ドラマのようでありながら、原作もある本作。そしてクラスの教師役を演じているのが原作「教室へ」を書いたフランソワ・ベゴドー自身。

ベゴドーの両親は教師。彼自身も現代文学を学び、教員資格も取得。パリ19区の中学校で二年間国語教師をしていた。その後小説家に転じ、言葉を巧みに操りながら教育、政治など枠を超えて発言をする文化人として活躍をしている。
教師フランソワ役がさすがに板に付いており、そして教師の苦悩やフラストレーションもよく描かれている。自分が書いたとはいえ、教師もひとりの人間であり、子供っぽいところがある面などを自然に演じています。
そして生徒たち。なかなか堂に入ったもので、自分たちの背景を背負った演技をしています。このパリ20区の中学校には出身地も人種も様々な「フランス人」生徒が学んでいる。それゆえ時には緊張感の走る容赦ない展開もある。

授業中に例えで人の名前を出すとする。日本だったら「太郎」や「花子」(ちょっと古いけど)で済むところを、英語系の名前にすると「なぜシロ(白人)の名前なんだ」と生徒がからむ。いや、からむのは正当な反応だ。本来教育とは丸暗記ではなく、「なぜ」かを考え、したたかに社会を渡っていけるようになるためではないか。アフリカ系やアラブ系の生徒がいるクラス。いや、そうでなくとも名前がなぜカーンではいけないのか。インド、いや世界のスーパー・スター俳優でイスラム教徒のシャールク・カーンがその名前故にアメリカの空港で止められたことがあったが、多くの人たちがアラブ系の名前に日頃から馴染んでいれば、根拠のない警戒の意識も変わるかもしれない。
ほかにもサッカー、ゲイ、ヒップホップ、ゴス(系ファッション)といった分かりやすい趣向、そして目に見える対立は、日本でよく聞く陰湿ないじめなどとは事情が違って興味深い。
フランソワは生徒たちに言葉の力を説く。移民であっても正しく美しいフランス語を話せばそれが人生を切り開く武器になる。ところが今どきの話し方やスラングに慣れた生徒たちには古典はおろか、敬語の必要性すら伝わっていない。「おばあちゃんも使わない」、「中性の話し方だ」とにべもない。「そんな風に話す人はいない」ならなぜそれを学ぶのか、確かに鋭い。文語と口語は違う、それを知っていて使い分ける。スノッブしか使わないとしても、言葉の広い知識を手にしていれば世界は広がる。
しかしフランソワ、生徒に悪態をついたことで自分を窮地に追い込んだりもするが、いやはや幼さと憎らしさが同居する生徒たちにキレる気持ちに同情をしない訳でもない。ただ生徒への敬意を忘れれば信頼は崩れ、彼らは離れていく。

生徒の中で涼しい顔をしているのがウェイ。中国から来た15歳の彼は、意味もなく騒ぐクラスメートの理解に苦しみ、規律がないことを恥ずかしいと感じている。彼のそんな気持ちは日本人には共感できる。ただ笑顔の愛らしい彼も、まだ上手くフランス語で話せない悩みを抱えている。家庭では中国語を話し、1日4時間大好きなビデオゲームに興じる。どういう経緯でウェイの両親はフランスにたどり着いたのかは語られていないが、パリはヨーロッパで華人人口が一番多い街であり、チャイナ・タウンもある。彼には後半ある事件が起きるのだが、教師たちは成績優秀な彼を助けようとする。現実のウェイの境遇は知らない。でも彼に、そしてすべての生徒たちに学ぶ機会が与えられ、それを活かして欲しいと切に願わずにはいられない。